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東京高等裁判所 平成8年(ネ)2236号 判決 1996年8月28日

控訴人

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

萩原清光

被控訴人

東松山市

右代表者市長

坂本祐之輔

右訴訟代理人弁護士

安田孝一

右指定代理人

佐藤美子

外二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の申立て

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、一〇一七万二八二〇円及びこれに対する平成二年一〇月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨。

第二  当事者の主張

次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決の訂正

1  原判決二枚目表五行目の「している」を「していた」に改める。

2  同三枚目裏一行目の「点検」の次に「等」を、同四行目の「窓口職員が」の次に「本件委任状を受理した時点で」をそれぞれ加え、同六行目の「行なわなかった」を「行わなかった点、及び本件申請者が甲野和男(以下「和男」ともいう。)自身であることを確認しなかった点に」に改める。

3  同五枚目裏二行目の「この点の」を「右の点、回答書の提出について、控訴人が和男を代理人に選任したことを控訴人に確認しなかった点、及び回答書の持参者が和男自身であることを確認しなかった点に」に改め、同八行目の末尾に「(以下「別件訴訟」ともいう。)」を加える。

4  同六枚目裏五行目及び同六行目の全部を「1 請求原因1(控訴人の土地所有)を認める。」に改める。

二  控訴人

1  被控訴人の過失について

(一) 本件申請受理当初の段階における過失について

本件各申請書等は、その提出された時点において、既に一見明瞭な諸々の過誤があり、しかも、その過誤の一部については、申請受理の途中に被控訴人の職員の働き掛けによる訂正が行われたものもあると考えられるのであって、極めて杜撰なものであった。

このような申請書類が窓口に提出された場合には、被控訴人の職員は、受付けの当初において、来庁者の言動、申請書類の体裁、内容等その場におけるあらゆる資料をもとにして、その申請の実体について、子細に点検すべき義務があることは、いうまでもない。

本件において、応対した窓口職員が右の注意義務を尽くして適正に点検をしていたならば、本件の偽造の印鑑登録は防げたはずである。

(二) 本件委任状の点検に関する過失について

申請者本人の委任意思の確認について最も肝心な手段である委任状に関しては、より慎重に事を処理すべきであって、軽々に「不足書類を追加させる」というような安易な対応は、許されないというべきである。

(三) 本件廃止申請書等の受理に関する過失について

(1) 本件廃止申請書等は、書面上明白に控訴人本人の申請及び届(以下「申請等」という。)であるのに、窓口職員は、これを見落していたのである。

仮に、そうではなく、原判決が説示するように、同職員が本件委任状と印鑑登録申請書等が同一日の近接した時間内に提出されたことをもって、これらを一体のものと解釈し、本件廃止申請書等をも代理による申請であると解釈し、代理人による申請等として受理したというのであれば、被控訴人の印鑑条例上の本人申請等と代理申請等との区別を敢えて無視した扱いをしたことになるところ、本件においては、そのような例外的な扱いが許されるべき特段の事情は、何ら存在しないのである。ましてや、本件においては、窓口職員が右のように解釈したとの事実さえも、認められないのである。

(2) 本件廃止申請書等の世帯主欄の記載のそご、登記印鑑の誤捺、男女別の誤記等は、ままあることとの一般論によって片付け得る程度を超えたものであり、一連の事実を全体としてみれば、受理事務に当たった職員は、申請等内容の点検に際して、職務上ごく普通の注意義務をも怠ったというべきである。

(3) 住民票の変更届は、本人の委任状等により本人の意思を確認しないでも、第三者によって提出できるものであり、印鑑登録に関する申請に合せて右の届がされる場合には、虚偽の申請が行われる蓋然性が高く、印鑑登録事務上、最も注意すべきものの一つである。本件においては、右の変更届と右1及び2に述べた数々の書面上の明らかな誤りとは、個々別々に関連なく表れたわけではなく、一連の手続の過程において、随所に一見して認められるのであって、特別の注意を払わなければ発見できない誤りではないのである。

(四) 印鑑登録手続に関する過失について

本件偽造印鑑の新規登録手続は、照会書郵送方式による申請意思確認の体裁を採ってはいるが、関係する委任状も偽造されたものであることは、その作成経過、記載の体裁等に徴すれば明白である。しかも、その郵送先は、単に申請名義人の住所であるだけであり、それさえも、申請当日に移転されている住所であって、本件申請について、申請人本人の意思を直接表明することを窺わせるものではない。したがって、本件の郵送による照会は、正に外形上の体裁は整っているが、申請人本人の意思確認とは、何らの関連もないのである。

2  被控訴人の信義則違反ないし権利濫用の主張を争う。

三  被控訴人

1  本件においては、控訴人名義の印鑑登録申請における控訴人の意思確認について、被控訴人が注意義務を果たしたか否かが問題となるが、その判断においては、当該具体的状況を詳細かつ総合的に検討する必要がある。

平成二年一〇月一二日及びその後の経過は、① 控訴人の長男甲野和男(以下「和男」ともいう。)が、控訴人の代理人として、東松山市役所市民課市民係に来庁、② 和男が各種申請書、委任状を一括提出、③ 窓口職員(持田職員)が一括受理、④ 窓口職員が、和男に対して、申請内容、申請人本人(控訴人)との関係、申請人本人が来庁できない理由等を窓口で直接確認、⑤ 窓口職員が、和男の回答内容が正しいかどうかを住民基本台帳の電算機システムの末端のモニター画面で確認、⑥ 窓口職員が、和男の回答内容が正しいことを確認した後、申請人本人宛てに照会書、回答書を郵送、⑦ 後日、和男が右照会書、回答書を持参、⑧ 控訴人の印鑑登録が完了、ということになる。

控訴人の代理人として来庁した者は、控訴人と全く関係のない者ではなく、控訴人の長男であり、しかも、照会書の郵送先の「東松山市東平○○番地」は、控訴人の本籍、出生地であり、控訴人が出生(大正四年五月一〇日)後平成二年九月一五日までの間、和男とは昭和三二年一月六日から約三三年間住んでいた場所であって、控訴人と無関係な場所ではない。照会書の郵送によって最終的な本人の意思確認がされるのであるから、郵送先が控訴人とどのような関係を有するかは極めて重要である。

ところが、控訴人は、右のような事情については、全く触れるところがないのであって、その訴訟態度は、余りにもアンフェアであるといわざるを得ない。

2  和男の控訴人に対する不法行為に基づく損害賠償責任は、同人が平成三年一一月一九日の死亡により、本来控訴人が単独で承継し、混同により消滅するはずであったが、控訴人は、被控訴人に対する損害賠償請求権が消滅するのを防ぐために、相続放棄の申述をしたのである。

仮に、相続放棄が有効であったとしても、被控訴人に対して損害賠償責任を追求することは、信義則に反するか権利の濫用に当たるものとして許されない。

第三  証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一  事実関係について

一  請求原因1の事実、同2(一)及び(二)の事実並びに同3の事実は、当事者間に争いがない。

二  右一の事実及び証拠(甲八、一五、乙一、二、五の1ないし3、七の1ないし4、八の1、2、一三の3、原審証人金子恒雄、同持田幸江、当審証人神庭法子)によれば、次の事実が認められる。

1  控訴人は、大正四年五月一〇日生れの女性で、東松山市大字東平○○番地を本籍地としており、昭和九年四月一〇日、甲野六郎と婿養子縁組婚姻届をしたが、同人に先立たれ(昭和二〇年七月六日戦死)、本件の申請手続等が行われた当時七五歳であった。

和男は、昭和一一年八月一五日、控訴人の長男として生まれ、本件の申請手続等が行われた当時五三歳であり、平成三年一〇月一九日に死亡した。

2  住民票上、控訴人及び和男は、控訴人を世帯主として本籍地に居住していたが、控訴人が、平成二年九月一五日、東平××番地××に転居したため、同日、和男が本籍地における世帯の世帯主となり、同年一〇月一二日、控訴人が東平××番地××から本籍地に転居して、世帯主和男の母としてその世帯員となっていた。

3  和男は、偽造した控訴人の印鑑を新たに印鑑登録し、その登録証明書を利用して控訴人の土地をほしいままに売却しようと企て、平成二年一〇月一二日、東松山市役所市民課市民係を訪れ、まず、控訴人の住民票上の住所を東平大字××番地××から和男の住所である東平大字○○番地に変更した上、市民係の窓口に控訴人の印鑑登録廃止申請書(乙七の1)、同じく印鑑登録証亡失届(乙七の2)、同じく印鑑登録申請書(乙七の3)及び同じく本件委任状(乙七の4)を一括して提出した。提出された書面の主な記載内容は、次のとおりである。

(1) 印鑑登録廃止申請書

住所欄には「東松山市大字東平○○番地」と、氏名欄には「甲野花子」と、男女の別欄には「女」とそれぞれ記載されており、世帯主欄には、「甲野花子」と記載された上、「花子」が抹消されて「和男」と書き加えられており、申請人欄には、「本人」に丸印が付され、その住所として「東松山市東平○○」と、その氏名として「甲野花子」とそれぞれ記載され、申請人欄の控訴人の名下に「甲野」と刻された小判型印(以下「小判型印」という。)が押捺されていた。なお、登録印鑑欄に「廃止の理由」欄の「登録印鑑の亡失」及び「その他(手帳亡失)」の項に丸印が付されていた。

(2) 印鑑登録証亡失届

登録印鑑欄には、前記小判型印が押捺された上抹消されており、氏名欄には「甲野花子」と、男女の別欄には「女」と、世帯主欄には「甲野花子」とそれぞれ記載され、申請人欄には、「本人」に丸印が付され、その住所として「東松山市東平○○」と、その氏名として「甲野花子」とそれぞれ記載され、申請人欄の控訴人の名下に小判型印が押捺されていた。

(3) 登録する印鑑欄には「甲野花子」と刻した丸型印鑑(以下「丸型印鑑」という。)が押捺されており、住所欄には「東松山市大字東平○○番地」と、登録者氏名欄には「甲野花子」とそれぞれ記載され、世帯主欄には「甲野花子」と記載された上、「花子」が抹消されて「和男」と書き加えられ、欄外に捨て印として丸型印が押捺され、申請者欄には代理人として「甲野和男」と、その住所として「東松山市大字東平○○番地」とそれぞれ記載されていた。

(4) 本件委任状

全文手書きであり、代理人として和男の住所、氏名が、委任事項として、① 印鑑登録申請に関すること、② 印鑑登録変更申請に関することが、登録者の住所として「埼玉県東松山市大字東平○○番地」と、その氏名として「甲野花子」とそれぞれ記載され、控訴人の名下には小判型印が押捺された上、抹消されて丸型印が押捺されていた。

4  被控訴人の窓口職員は、和男に対して控訴人との関係及び各提出書類の内容等について質問してその内容を確認した上、電算機システムのモニターで(東松山市においては、当時、住民票は電算機によって管理されていた。)、その当時の世帯構成、住民票内容(世帯)及び同(個人)の各画面(既に前記3の冒頭に認定した住所変更届に基づく変更がされていた。)と各提出書類の記載内容とが同一であることを確認した。なお、窓口職員は、窓口に出頭したのは、控訴人本人ではなく和男であるのに、本件廃止申請書等の記載が、控訴人本人による申請の形式になっており、実際と食い違っていたが、各提出書類が一括して若しくは同日の近接した時間内に窓口に提出されており、その中には本件委任状もあって、和男が控訴人の代理人として申請したことが明らかであったため、本件廃止申請書等の右記載のそごを敢えて問題にせず、また、控訴人が高齢であったことから、その長男である和男が代理人として申請したものと考え、控訴人本人が出頭しない理由についても敢えて質問しないで、申請の趣旨に沿って手続を進めた。

5  その後、被控訴人の窓口職員は、後記東松山市印鑑条例の定めるところに従い、変更後の控訴人の住所である東松山市大字東平○○番地宛てに控訴人に対する照会回答書(乙八の1の回答書欄が空白のもの)及び委任事項として、① 印鑑を登録すること、② 印鑑登録申請をしたことに相違ない旨の回答書を提出すること、③ 印鑑登録済証明書(手帳)を受領すること、④ 印鑑登録証明書(3)通を請求及び受領すること、が印刷されている代理人選任届出書用紙(乙八の2の手書部分が空白のもの)を郵送した。

6  和男は、右照会回答書を受領し、平成二年一〇月一六日、回答書に控訴人の住所、氏名、生年月日を記載し、登録印鑑欄に丸型印を押捺したもの(乙八の1)及び前記代理人選任届出書用紙に所定の事項を記入し、控訴人名下の登録印欄に丸型印を押捺したもの(乙八の2)を持参して、市民係の窓口に提出した。

7  被控訴人の窓口職員は、控訴人の登録意思及び委任意思が確認されたものとして、控訴人の印鑑登録証及び印鑑登録証明書を発行して、和男に交付した。

8  被控訴人における印鑑登録事務は、本件の印鑑登録が行われた当時、東松山市印鑑条例(平成五年条例第一七号による改正前のもの。乙一。以下「印鑑条例」という。)及び同条例施行規則(平成五年規則第一七号による改正前のもの。乙二)に則って行われていたものであるところ、右条例は、① 印鑑登録申請について、a 印鑑の登録を受けようとする者(登録申請者)は、登録を受けようとする印鑑を自ら持参し、書面で市長に登録の申請をしなければならないこと(三条本文)、b 登録申請者が疾病その他やむを得ない事由により、自ら申請することができないときは、委任の旨を証する書面を添えて、代理人により申請することができること(同条ただし書)、c 市長は、印鑑登録の申請があったときは、当該申請者が本人であること又は当該申請が本人の意思に基づくものであることを確認しなければならないこと(四条一項)、d 右の確認は、登録申請の事実について、郵送その他市長が適当と認める方法により、当該登録申請者に対して文書で照会し、その回答書を登録申請者又は代理人に持参させることによって行うものとすること(同条二項本文)、e 代理人に回答書を持参させる場合には、委任の旨を証する書面を添えなければならないこと(同項ただし書)を、② 印鑑登録証の亡失の届出について、a 登録者又はその代理人は、印鑑登録証を亡失したときは、登録印鑑を添えて直ちに市長にその旨を届け出なければならないこと(一〇条本文)、b 代理人により届け出る場合においては、委任の旨を証する書面を添えなければならないことを、③ 印鑑登録の廃止申請については、a 登録者又はその代理人は、当該印鑑の登録の廃止をしようとするときは、印鑑登録証を添えて、書面で市長に申請しなければならないこと、b 登録者又は代理人は、当該登録された印鑑を亡失したときは、市長に対して、印鑑登録証を添えて、直ちに当該印鑑の登録の廃止を申請しなければならないことを、④ 市長の権限について、市長は、印鑑の登録又は証明の事務に関し関係者に対して質問し、又は必要な事項について調査することができること(一八条)を、それぞれ定めている。

第二  控訴人の主張について

一  本件申請受理当初の段階における過失について

1  控訴人は、窓口職員において、本件申請者が和男であることを確認しなかったことが過失である旨主張する。

しかしながら、本件申請者が和男であることは、既に認定したとおりである(なお、甲八によれば、控訴人自身も、別件訴訟において、本件申請者が和男であることを積極的に主張していたところである。)ところ、証拠(乙五の1ないし3、原審証人金子恒雄、同持田幸江)によれば、被控訴人の窓口職員は、本件申請者への発問と手元の資料との照合によって、それが和男であることを確認したことが認められ、右確認の結果が客観的事実に符合していたのであるから、控訴人の右主張は、採用することができない。

2 控訴人は、本件各申請書等は、記載に誤りの多い杜撰なものであり、それが提出された時点において、既に一見明瞭な諸々の過誤があり、しかも、その過誤の一部については、申請受理の途中に被控訴人の職員の働き掛けによる訂正が行われたものもあると考えられる旨主張する。

本件各申請書等の記載には、既に認定したとおり記載の誤りや訂正がある(これが窓口職員の過失の有無に及ぼす影響については、後に判示するとおりである。)が、本件全証拠によっても、右の訂正が、申請受理の途中に被控訴人の職員の働き掛けによってされたとの事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、右の事実があることを前提とする控訴人の主張は、採用することができない。

3  控訴人は、被控訴人の窓口職員にはより慎重に提出書類を点検すべき注意義務があり、右義務を果たしていれば、本件の偽造の印鑑登録が防げたはずである旨主張するが、この点については、その余の点について判断した後に判断する。

二  本件委任状の点検に関する過失について

1  控訴人は、本件委任状が被控訴人の窓口職員の働き掛けによって、その場で作成されたものである旨主張する。

証拠(甲三、八のうちの別件訴訟における甲八八)によれば、和男が浅井幸子に対して、本件委任状は窓口職員の働き掛けにより、その場で作成されたことを窺わせる発言をしたことが認められる。しかしながら、右和男の発言内容の真実性を裏付ける証拠がないので、本件における偽造の印鑑登録を企てた張本人である同人の右発言内容を直ちに信用することはできない。

2 控訴人は、被控訴人の窓口職員が、本件委任状が提出された時点で、控訴人の委任意思の点検をしていれば、これが偽造であることが分かったはずである旨主張する。

しかしながら、高齢である控訴人の長男和男が代理で印鑑登録に関する手続を行うことは特に不自然なことではなく、被控訴人の窓口職員には、前記照会回答書の郵送による意思確認のほかに、本件委任状を受理した時点で直ちに控訴人の意思確認をすべき義務があるということはできず、右の主張は、採用することができない。

3  本件廃止申請等の受理に関する過失について

(一)  本件廃止申請書等は、書面上明白に控訴人本人の申請及び届であるのに、実際にこれを窓口に提出したのは控訴人とは、性別も年齢も異なる人物であったのであるから、窓口職員としては、本来代理による申請等としてこれを受理すべきで、そのままの状態では受理すべきではなかったのに、これを受理した点に過失がある旨主張する。

しかしながら、既に認定したとおり、本件廃止申請書等は、その作成名義人は控訴人本人であるが、和男により、本件委任状や印鑑登録申請書と一括して市民係窓口に提出されたものであり、窓口職員は、これらを一体のものとして扱い、事後の手続を進めたのであるところ、代理人による申請を本人申請の形式のまま受理したことは、適切な処理とはいえないが、本件廃止申請書等が、前認定のような記載内容の印鑑登録申請書及び本件委任状と一括して若しくは当日の近接した時間内に、窓口に提出されたとの事情、及び印鑑登録申請書が今後の印鑑登録証明の基礎となるものであるのに対し、本件廃止申請書等は従前の印鑑登録を廃止するという消極的な性質のものであるとの事情等を総合すると、前記のような事情があるからといって、直ちに本件廃止申請書等を不受理とすべきであったとはいえないから、これを受理した窓口職員の行為をもって違法ということはできないというべきである。

(二) 控訴人は、本件廃止申請書等の受理に際して、控訴人の意思確認をすべきであった旨主張する。

しかしながら、本件廃止申請書等の受理の際に、既に本件委任状が提出されていたのであるから、被控訴人の窓口職員が、後記照会回答書による意思確認以前の段階で、控訴人の意思確認を行うべきであったということはできない。

(三) 控訴人は、本件廃止申請書等には、以上のほかにも随所に記載の誤りと不整合があるところ、被控訴人の窓口職員がこれらをきちんと点検していれば、これらが控訴人の意志に基づかないものであることが分かったはずであると主張する。

確かに、控訴人指摘のように、本件廃止申請書等には、前認定のように、世帯主欄の記載のそご(印鑑登録廃止申請書の世帯主欄は、甲野花子から甲野和男に訂正されているが、印鑑登録証亡失届の世帯主欄は、甲野花子のままになっている。)、登録印鑑の誤捺(印鑑登録証亡失届の登録印鑑欄に小判型印が押捺された上、抹消されている。)などがあるのに、そのまま受理されたのであるが、これらのことがあるからといって、本件申請手続が不正にされていることを知り得たとか、本件廃止申請書等の受理を拒否すべきであったとまではいえない。仮に、窓口職員が形式的に整った処理をするとすれば、印鑑登録証亡失届の世帯主欄を甲野花子から甲野和男に訂正させて(本件廃止申請書等とともに本件委任状が提出されているので、提出者である和男に対して、右のような訂正をさせることは許されると解される。)受理することになるにすぎないので、このような処理をしないで受理したからといって、窓口職員に、本件損害賠償の原因となるような過失があったということはできない。

(四) 控訴人は、本件廃止申請書等が受理された際には、被控訴人の掌握していた資料(住民票)では、控訴人の住所は未だ「東平××番地××」であったにもかかわらず、被控訴人の窓口職員は、本件廃止申請書等の世帯主欄を和男に訂正させて辻褄を合わせ、控訴人の住所を「東平○○番地」とする本来受理すべきでない本件廃止申請書等を受理してしまった旨主張する。

しかしながら、本件廃止申請書等の提出と控訴人の住民票上の住所変更届が同一日にされている事実(乙五の1ないし3)及び証拠(原審証人持田幸江、当審証人神庭法子)によれば、和男は、控訴人の住民票上の住所の変更を先に行い、その後、控訴人の住所を右変更後の住所に合わせて記載していた本件廃止申請書等を提出したものと認めるのが自然であり、これに反する控訴人の主張は、これを認めるに足りる証拠がなく、採用することができない。なお、住民票上の住所変更を行った際、世帯主が和男のままで変更されなかったため、住民票上、控訴人が世帯主の母として記載されることになった(乙五の2)が、本件廃止申請書等には、控訴人が世帯主になることを前提として記載しており、新たな住民票上の記載と異なることになったため、印鑑登録廃止申請書の世帯主欄の記載を訂正したが、印鑑登録証亡失届のそれは訂正しなかったものと認めるのが相当である。住所変更届と同一の日に印鑑登録に関する手続がされる場合には、右のような誤りがあっても不自然とはいえず、したがって、これを理由に本件廃止申請書等を不受理とすべきであったとはいえないし、仮に、世帯主欄の訂正が窓口職員の示唆に基づいてされたものである(この事実を認めるに足りる証拠はないが)としても、右のように示唆することが違法であるとまではいえない。

4  全体的観察について

控訴人は、住民票の変更届は、本人の委任状等により本人の意思を確認しないでも、第三者によって提出できるものであり、印鑑登録に関する申請に合せて右の届がされる場合には、虚偽の申請が行われる蓋然性が高く、印鑑登録事務上、最も注意すべきものの一つであるところ、本件においては、右の変更届と既に述べた数々の書面上の明らかな誤りとは、個々別々に関連なく表れたわけではなく、一連の手続の過程において、随所に一見して認められるのであって、特別の注意を払わなければ発見できない誤りではない旨主張する。

控訴人の主張するとおり、印鑑登録に関する申請に合せて住民票の変更届がされる場合には、虚偽の申請が行われる蓋然性が高く、印鑑登録事務上、最も注意すべきものの一つであるとしても、本件においては、控訴人の代理人として来庁した者が、控訴人と全く関係のない者ではなく、控訴人の長男であり、しかも、変更後の住所である「東松山市東平○○番地」は、控訴人の本籍地・出生地であり、控訴人が出生(大正四年五月一〇日)後平成二年九月一五日までの間、しかも和男とは昭和三二年一月六日から約三三年間一緒に住んでいた場所であって(甲一五、乙五の1ないし3)、控訴人と無関係な場所ではないのであるから、前記のような事情に右のような事情を併せ考慮すると、控訴人の主張するような事情を総合しても、未だ、窓口職員が本件廃止申請書等の受理を拒否すべきであったとか、あるいは、本件の各申請等が偽造の書面によってされているのではないかとの疑念を抱くべきであったということはできない。

三  印鑑登録手続に関する過失について

1  控訴人は、控訴人の氏名の筆跡が、回答書(乙八の1)のそれと本件委任状(乙七の3)のそれとでは、明らかに異なるのであるから、被控訴人の窓口職員がこの点の対比をしていれば、本件の申請等が控訴人の意思に基づかないものであることに気付いたはずである旨主張する。

しかしながら、右両書面の氏名は、必ず自署しなければならないとされているものでもなく、また、被控訴人の窓口職員には申請者本人の筆跡が明らかになっているわけでもないのであるから、筆跡の対比の結果をもって、直ちに偽造か否かの判断基準とすることはできない。のみならず、本件においては、右両書面の控訴人の氏名の筆跡が明らかに異なるものと認めることはできない(両者が同一人によって偽造されたものである場合には、むしろ偽造に係る控訴人の氏名も同一の筆跡になることが多いであろう。)のであって、窓口職員がこの点の対比をしていれば、本件の申請等が控訴人の意思に基づかないものであることに気付いたはずであるということはできない。

2 控訴人は、本件偽造印鑑の新規登録手続は、照会書郵送方式による申請意思確認の体裁を採ってはいるが、その郵送先は、単に申請名義人の住所であるだけであり、それさえも、申請当日に移転されている住所であって、本件申請について、申請人本人の意思を直接表明することを窺わせるものではなく、したがって、本件の郵送による照会は、正に外形上の体裁は整っているが、申請人本人の意思確認とは、何らの関連もないとして、被控訴人の窓口職員には、本人である控訴人に委任の意思を確認しなかった過失がある旨主張する。

証拠(原審証人金子恒雄、同持田幸江)によれば、住民票上の住所が勝手に変更された場合には、郵送による本人の意思確認の方法では、正確な意思確認ができないことがあり、そして、このような方法により、虚偽の印鑑登録をしてその印鑑登録証明書を入手するという事件が起きていたことは、被控訴人の窓口職員も認識していたことが認められる。他方、親族が何らかの事情で窓口に出頭できない本人を代理して、住民票や印鑑登録に関する手続を行うことも頻繁に行われているところであり、本件におけるように、住所変更届をする際に、同時に印鑑登録に関する手続をすることも不自然なことではない。このような場合に、郵送以外の方法で本人の意思確認をしようとすれば、被控訴人の職員が本人と直接面接するしか方法がない(電話では、対話の相手方が本人であるか否かを確認することができない。)が、それでは、被控訴人の人的条件に照らして不可能である上、簡便・迅速な事務処理に支障を来すことになることは、見やすい道理である。したがって、印鑑条例によって定められた方法以上の方法によって確認をすべき義務が生じるのは、代理人による申請が行われた際、それが本人の意思に基づかないものであることを窺わせる特段の事情がある場合に限られると解するのが相当である。

本件においては、既に判示したとおり、和男が控訴人に無断で印鑑登録に関する手続を進めていることを窺わせるような特段の事情があったものとはいえないので、印鑑条例に従った意思確認の方法を採った窓口職員に過失があったということはできない。

3 控訴人は、回答書の提出について、控訴人が和男を代理人に選任したことを控訴人に確認しなかった点及び回答書の持参者が和男自身であることを確認しなかった点において、被控訴人の窓口職員には過失があった旨主張する。

しかしながら、回答書の持参者が和男自身であったことは、既に認定したとおりであるから、窓口職員がこの点の確認をしなかったとしても、控訴人の損害の発生につき過失があったものということはできない。また、窓口職員は、控訴人が回答書の提出について和男を代理人に選任したことについては、被控訴人が控訴人の住所宛に郵送した用紙を用いて作成された代理人選任届出書(乙八の2)を和男が持参してきたことによって、控訴人の意思を確認したものというべきであり、右代理人選任届出書が偽造されたものであることを疑うに足りる特段の事情のない限り、右の程度の確認をすれば足りるところ、本件においては、右特段の事情の存在を認めるに足りる証拠はないので、控訴人の前記主張は採用することができない。

四  結論

以上のとおりであるから、控訴人の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がなく、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官塩崎勤 裁判官瀬戸正義 裁判官川勝隆之)

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